今回は、4月に放送された番組「日曜日の初耳学」の内容を記載します。
林修先生の番組の「日曜日の初耳学」で、成田悠輔さんと対談した内容をメモしたのでそれを記録して残しておきます。
何かしらためになる部分もあるのかなと思います。
---番組内容---
みんな予備校に行って有名な学校に入るために頑張っている。
そんなことをして意味があるのか?
→成田先生はそういう疑問に答える研究をしている
アメリカのエリート学校ではほとんど意味がないことが証明されている
→シカゴにある10校のエリート高校で、ギリギリ合格した生徒、ギリギリ合格しなかった生徒4000人を調査。高校の卒業時の成績(2つの共通テスト(国語、数学))を比較したところ、
ほとんど差異がなかった
成績が良い、将来の収入も高いのは、学校のおかげではなく、能力の高い人が有名な学校にも入れる。
→そもそもすごい人がすごいとされている学校に入っているだけかも
林先生は、
ギリギリ東大に落ちて早稲田に合格した生徒には、行きなさいと言っている。
人生に差は出ない。林先生もシカゴ大学の研究結果を見せている。
高校までの見える世界で、行きたい大学が入ってみたら違っていたことなんて普通にある。ちょっと偏差値を上げて良い大学行っても人生は変わらない。
浪人は日本とフランスが多いが、ちょっとでも良い大学に入ることが自己目的化されている。
浪人で1年余計に使うのであれば、どういうことを学びたいのか分かったタイミングで
1年そのことを新たに勉強するほうが有効な可能性が高い。
有名大学に入れば良い人生を送れる1年浪人するよりもその1年間を有効に使うべき。
僕たちの中に間違った向上心があるのではないか。
仕事、肩書を手に入れた際に、「離すまい離すまい」という強い心があり、そこからどう自由になるのか。
子どもの頃から染みつけられてきた「学校に行って、みんなと同じ空間にいる。学歴と学校に入ることが重要」と同じようなことが人生を通じて繰り返されている。
→自分がいるような業界と全然違う世界と関わってみる、全然違う世代の人と関わってみる経験が重要。経験すればするほど、染み込ませてしまった凝り固まった価値観を少しキャンセルすることができる。アウェイに飛び込んでいく経験を子どもの頃から人生の中にどう埋め込んでいくのかが大事。
今の入試について、
日本の入試ってよく叩かれるが、実際はよい仕組みであり、公平な仕組み。
どんな場所に生まれた人であろうとも、親にお金があろうがなかろうが受験っていうゲームを乗り越えさえすれば学校に入れる。他の側面はどうでも良い、どんな友達がいなくても、どんな性格が悪くても日本の入試は多様な人材を包み込める仕組み。
ただ受験の仕組みは特定の能力だけを重視しすぎる。
問題視は基準が学力だけになっていること ホワイトワーカーをつくる教育だけでいいのか?
理想な入試は、客観性、公平性を残しながらどういうスキル・能力をはかるのかをもっと多様化していく、色んなタイプの能力を測れる色んな試験が共存し、評価の仕方自体が何百個もある入試。
何百個、何千個と入試が乱立していて、どの基準で評価されたいのか選べる。
客観的な評価で評価される基準自体はたくさんあるのが理想。
よく言われる日本受験制度の処方箋はアメリカの大学を持ち出すケースが多い。
現にAO入試の率が非常に高くなっている。
→落とし穴があると思っている。アメリカの大学のAO入試ってある意味ですごく総合的
高校の成績、課外活動、部活だったり。
→多様性に貢献すると言われる。実際はそうじゃない場合が多い。10の評価基準で総合的に評価しますってなると、10個について全て制覇しましたっていう八方美人的な人が増える。同じようなパーフェクトな人が量産され、多様な軸と言いながら結局、同じタイプの人材を作り出している。
AO入試って家が豊かなほうが断然有利。
夏休みにお金を払って、ボランティア活動をしたという証明を得るパッケージツアーが組まれる。その結果としてアメリカの有名な大学に通う親の年収が2000,3000万になる
色々な経験を変える人たちを優遇する仕組みになってしまう可能性があることには注意が必要。
受験さえクリアすれば他は何でもよい、色々な人が混ざる仕組みで、日本のペーパーテストは高得点を取りさえすればどんな人でも合格できる多様性が担保されている
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親の観点では、
>ギリギリ東大に落ちて早稲田に合格した生徒には、行きなさいと言っている。
確かに第一志望に落ちた際にどうするのかはありますね。そこに1年費やすのか。。。
自身の観点では、
>仕事、肩書を手に入れた際に、「離すまい離すまい」という強い心があり、そこからどう自由になるのか。
は、できているのか?と自問するのが怖いですが。。。